monk architect blog

漂流冒険家の末裔 波乱万丈

建築 旅行記 倉敷保存地区

 きっかけは原稿依頼があり書き出した。何か理由が分からいないが漂流している。、とりあえずは、出歩いた先での見聞した事を、ネット上に残して置くのも悪くないと。

倉敷は数回行って昼夜歩いた。倉敷は保存再生の代表例ではないだろうか。

 歴史って学校の時に、意味不明の年代と黴臭い話、今の時代の僕達、私達と何が関係あるのと思っていたのが大方ではないかな。そう思うと、もう胸やけ状態の人もいるかも。でも、先代の知恵を吸収しよう。

 建築士の卵 目指す君達、将来、いや、今も、目利きの建物見てきたマダム、又、伝統工法の大家の宮大工さんとか、一緒に仕事する機会があるかもしれない。大方の建築家の方々は、理解ある発注者との信頼関係を作っている。

 知識ないと太刀打ちできない。又、資格がないと一人前にも見てもらえない。

その為に、皆、努力の日々続けているんだよね。

 その意味で、良い例題として、倉敷の伝統的な街並みの保存再生、建築家との繋がりで、発注者と建築家の良き信頼関係の形が見て取れるかもしれない。

倉敷美観地区

1 倉敷市の美観地区景観条例

具体的には、伝統的建造物群保存地区(第一種美観地区)が15.0ヘクタール、伝統美観保存地区(第二種美観地区)が6.0ヘクタールとなっている。位置的には、本町全域、中央1丁目、東町、阿知2丁目、鶴形2丁目の一部となっている。

歴史は、江戸幕府天領として倉敷代官所が置かれ、以来、備中 中国南部の物資の集散地として発展、倉敷川沿いと鶴形山南側の街道一帯に白壁なまこ壁の屋敷や蔵などが残されている。

倉敷川周辺の伝統的建造物群保存地区は国の重要伝統的建造物群保存地区となっている。美観地区には、1930年に建てられた大原美術館、そして、保存するだけではなく、代官所跡地に1889年に建てられた旧倉敷紡績工場を改修して、1973年に宿泊施設を中心とした倉敷アイビースクエアなど旧来の建物を再生し、新たな施設とした活用されている。美観地区に隣接して、旧倉敷市役所が、市立美術館として再生されている事も着目すべき事である。

 

2.大原家と建築家の信頼関係

 大原家は、今の倉敷紡績創業家で、様々な事業行い、同時に、文化的な支援を行い、1930年に日本でも最古参の西洋、近代美術を展示した大原美術館を作ったり、文化的な事業を重要視して二人の建築家を登用したんだ。倉敷では、 

  • 薬師寺主計(やくしじ かずえ美観地区 1884年10月~1965年3月) 

大原美術館本館 中国銀行など

  • 浦部鎮太郎(うらべ しずたろう1909年3月~1991年6月) 

倉敷アイビースクエア 倉敷国際ホテル 新倉敷市庁舎 倉敷市立美術館改修など、建築家とクライアントとの密接な関係が見て取れる。

3. 重要施設

・旧大原家自由宅 重要文化財

・有隣荘 大原家別邸 昭和天皇が宿泊された

・倉敷館 登録有形文化財 現在は無料の休憩所、案内所

・井上住宅 重要文化財

・楠戸家住宅 倉敷市重要文化財、国登録有形文化財

・倉敷アイビースクエア 近代化産業遺産 建築家 浦部鎮太郎 改修工事

・旧中国銀行 登録有形文化財 建築家 薬師寺主計 設計 

・山楽会館 旧倉敷郵便局

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